疲れたらやすむ

Javaを学ぶ上でハマったところを書いていきます。iPhoneアプリ開発や日常ネタもあるかも。

2年半ぶりに家族に会って感じたこと

先日、ゴールデンウィークということで家族が東京に来ており久々に会いました。
私が実家を出て早6年。
最初は少なくとも1年ペースで実家に帰って顔を合わせていたのですが、ここ最近はめっきり帰っていませんでした。
連絡も基本的に取りませんし、本当に久しぶりでした。

結果から言うと会ってよかったです。
その感情に至るまでの経緯を順を追って書いていきます。

そもそも私はこんな人生を歩んできました

私は地方で生まれ、小学校から高校、そして社会人デビューも地元で果たしました。
家族は両親と妹と私の4人家族です。
実家にいる時の私は、それはもう反抗期真っ盛りでろくに親とも口を利かず、親からしてみれば可愛げのない息子だったと思います。
内心は照れくささや恥ずかしさがあって話をしたくないような感情。

父とはとくに不仲で、最後に笑いあったのはいつなのかすら覚えていません。
私が不仲と思っていただけで父がどう思っていたのかはわかりませんが。
少なくとも自慢の息子だとは思っていなかったでしょう。
なんせ私は話もせず意見も言わず、言いつけも守りませんでしたからね。

そんな父ですが、病気を患っていました。
反抗期だった私は病名も気にせず、聞こうともしませんでした。
後から知ることになるのですが、慢性血栓閉塞性肺高血圧症という難病です。
辛そうにしている時もありましたが家族に弱音を吐いたりはしませんでした。
もしかしたら私の耳に入らなかっただけなのかもしれませんけど。
定期的に通院はしているようでしたが、入院はしておらずふつうに仕事もしていました。
寝るときは生命維持装置っていうんですかね。呼吸の補助をするような装置を使っていました。


そして社会人2年目、私は上京を決意します。
お世辞にも居心地が良いとは言えない実家から外に出たいという気持ちが強かったからです。
両親にそれを伝えても反対されませんでした。
ただ、父にこんなことを言われました。
「俺はもういつ亡くなってもおかしくない状態だから、もしそうなった時は母さんと妹が残される。」
それに対し私は
「亡くならないでしょ。」
と言いました。
それを聞いて父は少し笑っていたと思います。

上京前日、家族全員で居酒屋に行ってお別れ会をしました。
家族が集まって外食をすること自体が珍しかったですし、その時初めて父とお酒を飲みました。


東京に引っ越して半年ほどでしょうか。
出勤前に母親から着信。
電話自体が珍しい上にこの時間だったので嫌な予感。
「お父さんが亡くなった。」と涙声で母が言いました。
何となく察してはいましたが。

急いで地元に帰ると、既に親戚の方々が集まっていました。
しばらく実家を離れていて父と会っていなかったこともあり、亡くなった事に正直あまり実感が湧きません。
でも火葬の直前。
最後のお別れで顔のそばに花を添える際に、父の冷めきった額を触って涙が出ました。
もう父は生きていないんだという事実。
どちらかと言えば嫌いだった人でも、いざ亡くなると悲しいんだなあと。
もはや嫌いという感情が嘘のように思います。

母も父とはよく言い合いの喧嘩をしており、子ども目線でも仲の悪い夫婦でした。
それでも母も悲しかったでしょう。
そして何より悲しかったのは妹だと思います。
妹は父と仲が良く、よく遊んだり話したりしていました。

私はその一件を境に、母や妹と話をするようになりました。
家族の大切さをようやく知ったんだと思います。
でも代償は大きい。自分自身が情けないです。


それからというもの、人生はどんどん前に進むのですがうまくはいきません。
離婚をしたり、会社を辞めたり。
母からお金を借りることもありました。

今まではそういった話は人から聞いたりテレビで見たりする側でしたが、気づけば自分の身に起きていました。
実際にそんな状況になってみると、結構つらいです。
今までこうやって生きてこれたのも周りに支えてくれる人がいてくれたおかげです。

久しぶりに会ってみて

母と妹とはタイトルにもある通り2年半ぶりに会いました。
母はシワが増えたような気がしましたし、妹は背が伸びていました。

2人は東京観光がしたいということで今回東京へ来ており、私は行きたい場所へ案内する役。
天気にも恵まれ、良い観光が出来たと思います。
母も妹もおしゃべりな方ではないので会話はあまり弾みませんでしたが思い出に残る1日でした。

一緒に暮らしていて毎日顔を合わせていると窮屈に感じてしまうかもしれませんが、たまにしか会えないとなると感じ方は違います。
親と会ったり出かけたりするのはダサいとか昔は思っていました。
でも今は、残された人生の中であと何回会えるのか、どうやって親孝行しようかとか考えています。
血のつながっている家族なので長生きして幸せでいてほしいと思います。

これからのこと

先ほども書きましたが、離婚や退職や家族からの借金。
父の話を真面目に聞かずに実家を出て行っておきながら、残された母と妹に合わせる顔がありません。

思い返してみれば、父が亡くなったことは私にも責任があります。
慢性血栓閉塞性肺高血圧症は肺と心臓の病気で、少量の運動でも息苦しくなるそうです。
そうなることを知っていながら、私は話を無視したり空返事をしたりで父の怒りを蓄積させていました。
時に怒鳴られることもあり、怒りによる興奮で体調が悪化していた部分もあると思います。
今後悔しても遅いんですが悔やむことは多々あります。

それでも信じてくれる、支えてくれる家族がいました。
「頑張れ。幸せになれ。」と言ってくれる母と妹。
本当につらくて苦労しているのは2人の方のはずなのに。


今回家族に会って励ましの言葉をもらって、とても良い刺激を受けました。
人一倍稼いで、家族に良い思いをしてもらいたいです。
日々頑張ろうと思いました。